宮古島挑戦記 2016 – 第11話「世界の鎌田」

      2016/07/15

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「なにー!やっちまったのか!」

「はい。。。」

カズさんから「左膝の裏をプチっとしてしまいました」と聞いたのは、初詣ラン直前のこと。実は俺も、年末年始にウェイトトレーニングをやっているとき、腰をやってしまった。俺は腰を、カズさんは脚をかばいつつ、タターっと走って行ってしまうヤスコさんを必死に追いかける。全く追いつけない。カズさんの「走れなくなったなぁ。。。」という呟きを背中に聞きつつ、彼のこれまでに想いを馳せた。

カズさんのアスリート人生は、怪我との付き合いと切っても切り離せなかった。

カズさんは、子どもの頃からずっと陸上競技をやっていた。大学生になったら箱根駅伝に出ることが目標だったという。しかし、2002年の東海大学入学を機に、陸上競技に別れを告げ、トライアスロンに転向した。箱根駅伝に出られる見込みがないと悟ったからだ。

トライアスロンを始めた最初の年は、インカレに出場できなかった。ランは良かったが、スイムとバイクがダメだったからだ。1つ年上の先輩である遠藤さんに引っ張られ、バイクをそれこそ死に物狂いで練習した。しかし、夏休み明けあたりから腰に不調が出始め、その年の冬には歩行困難なレベルにまで悪化した。

「ジャンプしようとしても、5cmも飛べないんですよ」

「どんな感じ?」

「こうです、こうw」

つま先が地面に触れたまま、高速カーフレイズのような動きを見せるカズ。

「…ほとんどギャグだな、その動き」

「ホントにこんな状態だったんです。痛くて痛くて。。。」

そして、大学2年に上がる直前の春休みにヘルニア手術。3週間入院で寝たきり。今もカズさんの背中には大きな手術跡が残っている。

大学2年の1年間はひたすらリハビリに取り組んだ。体幹トレーニングや、プールでスカーリングだけする日々。少し動けるようになり、医者に内緒でレースに出場した。トライスーツの上にコルセットを巻いた状態での出場。それでも、前年できなかったインカレ出場は果たした。

「大学時代はパッとした成績を挙げることもなく、ふつーに卒業しましたw」

とカズさんは言う。スイムが遅いのでショートには見込みが薄いと考え、バイクとランをより活かせるロングに転向。大学を卒業したその年の2006年9月、佐渡島で開催された「日本ロングディスタンストライアスロン選手権大会」で準優勝を飾った。その成績をもってスポンサーがつき、プロ活動を開始した。

「よく走れたんです。その頃は。。。」

2007年2月、アイアンマン・マレーシア出場。9時間58分、エイジ2位でコナスロット獲得。2007年10月、アイアンマン・ハワイ出場、エイジ5位。

「アイアンマン初参加の年にコナ行って、それでエイジ5位か!」

「それで引退ですw」

「え!?なんで突然!?」

さらに上を目指そうと思って練習を積んでいたが、2008年夏にハムストリングスの肉離れを起こしてしまう。走っているとき、まるで風船が「パーン!!」と破裂したような音がした。驚いて後ろを振り向き、「今の音何!?……ああ、俺だ。。。」と愕然としたという。

それ以降、身体のバランスがどんどん崩れ、騙し騙し付き合ってきた腰も悪化。それからは、リハビリをしながら競技を続けてきたが、2009年の宮古島トライアスロンが決定打となった。

総合トップ10を狙ってレースを展開したが、最後は腰が痛すぎて歩いてしまった。順位すら覚えていないほど後ろの方だったらしい。これを最後に、現役選手としてレースにはほぼ出なくなった。「引退」という言葉こそ使わなかったが、レースからはフェードアウトしていった。

それからは、総合型スポーツクラブでの仕事とコーチング業を生業にしてきた。俺とカズさんが出会ったのはその頃のことだ。そして、Onにまつわる紆余曲折の結果、彼は立ち上げメンバーの一人として、2015年5月にOnジャパンに入社。これまで経験のなかった営業という仕事に、持ち前の明るさで取り組み、年末には「営業未経験?ウソでしょ?」と取引先から言われるレベルにまでなった。

仕事の相棒としてどんどん頼りになっていくこの男の、かつての姿が見てみたい。そう思うようになった俺は、2015年夏に「宮古島にエントリーしようぜ」と持ちかけた。しかし、その時のカズさんの表情は微妙だった。小学校時代から競技を続けてきて、結果が全ての世界で生きてきた彼は、「結果を出せないことが分かっているのに出場する」ということに意味を見出せなかったのだと思う。

彼に変化が訪れたのは、2015年10月、友人のサポート目的でコナに行ったときだった。コナにはOnもブースを出している。そこで、オリヴィエから「あれ?カズは応援なの?出ないの?」と満面の笑みで聞かれたとき、「もし出たら、全力で応援してくれるんだろうな」と感じた。オリヴィエは不思議な人だ。あの笑顔で応援されると、頑張ってみたくなる。

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そして、レースを観戦していく中で、彼の気持ちに変化が生まれてきた。「やはりこれは見るものではなく、やるものだ」と。かつてのレベルには至らないとしても、それでも「もう一度コナの舞台でレースをしたい」という気持ちが生まれた。またトライアスロンに出られたら。復帰のきっかけとして、現役生活の引導を渡された宮古島にまた出られたら。

IM Kona 2015

コナから戻り、カズさんは少しずつ準備をはじめた。ロングのレースに対応できる身体を取り戻すために。しかし、2016年が明けてすぐ、トレーニング中に左膝裏に強い違和感を覚えた。「ああ、またか」と思ったらしい。いつまでもついて回る怪我。

「結構、走れるようになってきたんですけどね。。。」

「そうかぁ…。あれ…?確か今月、レースなかったっけ?タイのトレイル…」

「遠藤さんとDuoですからね。とりあえず行ってきますw」

こうして1月末、カズさんは遠藤さんと共に「The North Face 100 Thailand」のDuoの部に参戦した。怪我したせいで、ほとんど練習できない状態だ。俺はただ、「怪我を悪化させないことだけを考えてくれ」としか言えなかった。カズさんは、膝周辺の皮膚が完全に隠れるほどテーピングでガチガチに固めた上で、クラウドサーファーを履いてレースに出た。

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Duoの部は、チームの2人がそれぞれ50km走り、その合計タイムで競われる。本調子からほど遠いカズさんの分をカバーするため、遠藤さんは1秒でも速くゴールを目指し必死で走った。遠藤さんは、昨年1位のタイ人チームの1人を15km地点で置き去りにし、残り35kmは独走。「最速不動産王」の実力を遺憾無く発揮し、50kmのトレイルを4時間23分でフィニッシュ。

Endo_The North Face Trail 2016

怪我の状況次第では完走すら危ぶまれる状態だったカズさんを心配した遠藤さんは、5時間を経過した時点でフィニッシュラインからコースを逆走して彼を探した。すると、フィニッシュライン前最後の曲がり角を、ガチガチに固めた脚でぎこちなく走ってくるカズさんを発見する。ベストを尽くす後輩の姿に、普段クールな遠藤さんも涙をこぼす。迎えにきてくれた先輩を見つけたカズさんも涙。駆け寄って抱き合い、そのまま並走し、フィニッシュラインへ。見事、優勝を勝ち獲ったのだ。

Kazu_Endo_Victory

「やはりお前は『世界の鎌田』だな」

「ほんとやめてw」

「ローカルレースですから」と彼は謙遜するが、優勝なんてそうそうできるものではない。そのまま宮古島まで突っ走って欲しいと思った。ところが…

「それなのにインフルになって、事故に遭うって。。。」

レース2週間前、イベントの仕事中、やたらしんどそうにしていると思ったら、翌日からインフルエンザで1週間寝たきりに。そして、インフルから復活したと思った途端、車を運転していたときに後ろから追突され、首と腰をスベらせた。

「なんで宮古島の前って色々あるんだろうな」

「駒田さんのアレがうつったんじゃないですかねw」

もはや、結果を出すどころの話じゃない。というか、「カズさんは出ない」と思った。以前の彼なら絶対に出ないはず。しかし、予想に反して彼はレースに出ると断言した。彼が満足する結果は絶対に出ない。それは俺にでも分かる。

「本当にやるのか?」

「大丈夫です、イケます。多分w」

以前とは違う何かを求めているのだろうか。いずれにせよ、結果がどうあれ出ると明るく笑うカズさんが眩しく見えた。やはり間違いない。誰がなんと言おうが、それこそ本人が否定しようが、俺の中で彼は「世界の鎌田」だ。

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こうして、俺たちは宮古島トライアスロンに向かったのだった。「大丈夫です、イケます」を合言葉に。

第12話「再び宮古島へ」に続く

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