宮古島挑戦記 2016 – 第1話「Onをやめる?」

      2016/05/24

First Cloudracer

「駒田君、Onやめることになったから」

耳を疑う一言を聞かされたのは、2014年9月のことだった。8月下旬に洞爺湖で開催されたアイアンマン・ジャパン北海道でブース出展を終え、「来年は俺もOnでアイアンマンに!」と心に決め、意気揚々と戻ってきた矢先の出来事だった。

「なんでですか?まだ1年半しか経ってないじゃないですか!」

Onなどという誰も知れないランニングシューズブランドを、会社から半ば押し付けられるように担当し始めたのは2012年12月のこと。その頃、俺はTIMEXというアメリカの時計ブランドの営業を担当していた。日本でTIMEXを強くしていこうと仲間と頑張っていたところで、実際に結果も出始めていた。

ところが、「スイス本社で決まった話だ。是非やってもらいたい。断る選択肢はないと思って欲しい。Onをやるか、会社を辞めるか…」と迫られた。10年近く勤めた会社から、「やるか辞めるか」と二択を迫られたことは衝撃だった。チームの仲間は憤ってくれた。ただ、チームリーダーが「駒が離れるのは痛いけど、チャンスだと思ってやってみるのもいいんじゃないかな」と言ってくれたことで、Onを担当する決心がついた。

「本気でブランディングして欲しい」と上司から命じられていたが、言われるまでもなく、やるなら本気に決まっている。ランニングをやったことはほとんどなく、ランニングシューズ市場がどういうものなのか全く知らず、手探りで始めた仕事だった。

そして、始めてすぐに分かった。とんでもなく難しい仕事だと。巨人のようなブランドが4つ。それが市場の大半のシェアを占めている。残りのシェアを数多くのブランドが獲り合っている。その数多くのブランドは、決して小さくはない。誕生して3年、日本での知名度はゼロ、そんな零細ブランドが太刀打ちできる市場ではないと思われた。何より、多少大きいとはいえ、短期的な数字でしか物事を判断できない、うちのような商社が参入すべき市場ではないと分かってしまったのだ。俺は焦った。

「分かりました。やります。ただ、時間がかかります。できれば5年…それが無理なら3年ください」

会社はそれを理解したと思っていた。しかし、そうではなかった。Onのために採用された営業担当者は、1年も経たないうちに会社を追われた。理由はシンプル。「数字が上がっていない」だ。最初の1年は種蒔きの段階だというのに。

当初、精一杯の時間稼ぎとして提示した「3年」だったが、結果的にはその半分で見切りをつけられてしまったわけだ。やはりこうなったか、という思いはどこかにあった。会社に対する絶望感はあった。しかし、最も切迫感を伴う思いはそれではなかった。

「Onを好きになってくれたみんなになんて説明すりゃいいんだ?」

Onを知って最初に好きになった初代クラウドレーサーで走りながら、頭の中を同じ言葉がぐるぐる回った。

First Cloudracer

第2話「キャスパーとオリヴィエ」に続く

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