空手家として生きる。

      2017/05/09

拳生会_2

前回「強さとは。自信とは」に戻る

 

強くなろうと思い、弱さを振り切ろうと思った。できなかった自分を克服しようと思い、ひたすら「できる自分」を追求した。

その結果得られたものは、それなりの能力と自信「らしきもの」であった。しかしそれは、俺が求める本当の強さでも自信でもなかった。

それが分かったのは、仕事や家庭で大きく失敗したからだった。その中でもがいていたとき、俺の心はまた空手から離れていたことに気がついた。

 

そんなとき、俺は新しい仕事に出会った。私生活でもさらなる試練にさらされた。「俺は強い」と、自信らしきもので凝り固まっていた自分ではどうにもできないことばかりだった。

俺はどうやら色々な物事に執着しすぎていたらしい。弱い自分も自分、できないものはできない、そうやってゆるく心を開いた途端、世界は開けてきた。それまで想像もできなかったことが実現していった。

 

そういうことだったのか。ようやく少し分かってきた気がする。

 

自信とは安心の度合い。

安心とは心を安らかに開ける度合い。

自分の強さも弱さもオープンでいられる状態が安心であり自信。

その状態が生活に活きる強さ。

 

「俺は強い」とカチコチに固まった心は、自信とは遠かった。だから、いつもどこかで不安に苛まれ、イラついて、疲れ果てていた。

小暮先生が遺してくれた八つの教え。それは、やはり俺にとって大事なことだったのだ。

 

相手の良さを見つけ、認め、尊敬の心で接すること。礼に始まり礼に終わること。

そうあることができれば、自ら敵を作るようなことはない。平和な心で生きていける。

人を尊重するのと同じくらい、自分のことも尊重しよう。強みも弱みもあるがままを認めてみよう。強がる必要はないし、卑下するのはもっと良くない。

むやみに強がる心とことさらに卑下する心は表裏一体。あるがままに自分を見つめられないとき、心の平静は保ちづらく、敵を作りやすく、礼を失しやすい。

強さにものをいわせて人を攻撃していては、心の平穏など得られない。優しさと礼をもって人に接することを意識したい。

人と自分は違う。それは寂しいことではない。違いを尊重し、お互いの良さを認められる自分でいたい。その器量があれば、心穏やかに生きていける。

自分と違う相手の考えること、信じること、やりたいことを尊重しよう。自分は自分のやりたいことを追い求めればいい。お互いにそうできていれば、感謝の心が自然と生まれるはず。

そして、それらを胸に誠実に、真剣に生きる。修練は真剣に。

 

拳生会_2

 

生活に活きる空手とは、空手家とは。

入門から27年、随分と遠回りしてきたのは否めない。

でも、それでもいい。生きている間、探してみよう。

少し空手家に近づけたでしょうか、先生。

 

次回「Running Style、最後の雪隠斎コラム」に続く

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