強さとは。自信とは。

      2017/03/22

拳生会_1

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拳生会の段位で「五段」というのは、ある意味で特別だ。

五段の上は師範。五の上は、六ではない。数字で表現できるものは五段が頂点なのだ。

その五段になった俺は、強くなったと思った。かつて、身体が弱く、自信がなくてうつむきがちだった自分を乗り越えたと。

Hiroki_5 years old

 

色々なものから逃げた自分はもういない。乗り越えた。俺は強くなった。人並みどころではなく。

六法全書

 

俺は、こうして自信「らしきもの」を身につけた。

それは、徐々に生活に現れた。転職先、つまり俺の前職での仕事のやり方が変わった。

まず、新しい物事をどんどん吸収できるようになった。すると、仕事の効率が上がった。何かにつけて素早く業務を処理できるようになり、成果がどんどん上がってきた。堂々と自分の意見を表現できるようになった。

すると、徐々に取引先や同僚の非効率や仕事の遅さ、そして凡ミスが気になり始めた。それを指摘し、反論されたら論破し、自分が正しいのだと証明することに躍起になった。

 

「みんなが君と同じレベルでやれるわけじゃないんだから、そんなに正論で詰めるようなことはしないでもらいたい」

 

そう上司に言われたが、反省するどころか、むしろ誇らしく感じた。

かつて、勉強だけしてた奴なんて使えないと言い放たれたときからすれば、とてつもなく大きな進歩だと思ったからだ。

そうして、俺の「正論」の声はますます大きくなった。そして、仕事で忙しくなってきた俺は、またしても空手から遠ざかった。

しかし、次第に行き詰まってきたのは俺の方だった。数字は上がっていたが、常に緊張を強いられる状態が続いた。かつて論破した人間から、別の角度で反撃されることが水面下で増えた。

 

「できない奴らがコソコソしてやがる」

 

そう思うようにしていたが、心の底の方で不安はじわりじわりと広がっていった。常にイライラして疲れやすくなっていった。

ちょうどその頃、最初の結婚生活もうまくいかなくなっていった。正論で人を詰め、「できない」と思う人に対して怒りっぽい俺の態度は、生活のあらゆる局面に現れていったのだ。

 

俺はひとりになった。

 

何かがおかしい。こんなはずじゃなかった。俺はひとり残された鎌倉のマンションで、空手の稽古をし始めた。

怒りに任せて正拳を振り回していたとき、俺は気がついた。これは、「生活に活きる空手」ではないと。

空手のおかげで、自信らしきものはついた。それは生活に活きるかに思われた。しかし、俺は小暮先生の遺した道場訓からまたしても離れていた。

 

一. 常に禮に始り禮に終ることを忘るな

二. 敵を作るな平和な心を養え

三. 自己を高く評價するな弱きに失するな

四. 常に沈着であれ冷静を保て

五. 腕力に訴えるより仁慈を施せ

六. 何人をも容れ得る器量を養え

七. 相手の権利を尊べ自己の義務を果せ

八. 修練は真剣に

 

拳生会_2

 

この八つの教えのうち、俺が守れているものはどれだ?ひとつもないではないか。

もう分かっていた。俺の空手は生活に活かせておらず、俺の生活は自らの空手を曇らせてしまった。

 

(こんな風になりたかったわけじゃないよな…)

 

強さとは。

自信とは。

生活に活きる空手とは。

 

小暮先生がそれらを道場訓として形にした歳を、俺は既に越していた。

拳生会_1

 

次回「空手家として生きる」に続く

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