アイアンマン・ケアンズ挑戦記 2016 – 第12話「少しの成長、ささやかな矜持」

   

Ironman Cairns_bike

第11話「前借り」に戻る

一歩海に足を踏み入れた途端、足を波にさらわれて転びそうになる。

「サーフィンするほどの波じゃないですよー!」と、サーファーの吉澤さんは言っていたが、素人目からは今日はまさしく波乗り日和。怖さを感じつつ、海に飛び込む。

次の瞬間、大きな波がザッパーンと襲いかかり、俺は揉みくちゃにされながら波打際まで打ち上げられ、砂浜を転がっていた。こんなことあり得るのか。「スイム2時間」の可能性が脳裏をよぎる。

波に押し戻されないよう、身体を深く波の下に沈めつつ、今度はなんとか入水。今までに経験したことのない上下動を味わいながら、少しずつ沖に向かう。最初のブイを曲がり、岸と水平に泳ぎ始める。

水平にとは言ったが、本当にそうなのだろうか?遠くにチラチラ見える次のブイを目指しているつもりなのだが、絶え間なく押し寄せる波に流されてしまう。そして、その頼りのブイもたまに視界から消える。波の落差が大きすぎる。一時的にブイが見えなくても、次は見えるかもしれない。なるべく慌てずに、周りの選手たちの進む方向に従って泳ぐ。

それにしても視界が悪い。水が砂で濁りすぎている。自分の腕すらよく見えない。周囲は高い波、水中は濁った泥水のよう。たまに自分しかいないと錯覚することすらある。それなのに、突如脚を誰かに引っ張られ、あるいは頭のそばを誰かの腕がかすめる。

こんなに不安をかきたてるコースは……あった
オリンピックディスタンスのデビュー戦2013年の渡良瀬トライアスロン

視界完全ゼロ、口に入る水の味は不健康版ヘルシアそのもの。他の選手に上から乗られて沈んだとき、数百メートルしか泳いでいないのに、「リタイア」の文字が早々に浮かんだのだった。

そのときに比べれば、今はまだ冷静に泳げている。息は全く切れていない。泳力だってそのときよりついている。自信をもって泳ごう。麻生さんから教わったニュートラルポジションを意識して、なるべく大きく伸びる。ブイを見失ったときは、ヘッドアップを多めにする。波に流されながらも確実にブイを回り、一周2km弱のコースを2周回。

浜に上がり、手元のTIMEXでラップを取る。1時間半かかっていない。信じられない気持ちで時計を見る。少しずつでも俺は成長していた。8年前、一緒にアイアンマンを体験したTIMEXが、今そう伝えてくれている。

Swim 3.8km: 1:29:42

Ironman Cairns_swim

スイムは目標通り、1時間半で戻って来られた。次は最大の課題、バイク。不安な気持ちを抑えながら、トランジションで準備をする。

去年の洞爺湖では徹底的なアップダウンに打ちのめされ、180kmに9時間もかかってしまった。ここケアンズはフラットだと聞いているが、強い人たちの言う「フラット」はあまり鵜呑みにできない。

準備を終え、バイクスタート。コースに出てすぐ、遠藤さんみずおの奥さん、そしてまどかが大きな声で応援してくれた。次にみんなに会えるのは、180kmを終えてからだ。

Ironman Cairns_bike

バイクコースは、パームコーブからポートダグラスに向かって約40km北上、そこで折り返してパームコーブ手前でUターン、再びポートダグラスまで行き、折り返してからはケアンズ空港まで海岸線沿いを80kmほど南下する。海沿いをひたすら行ったり来たりすることになる。きっと風が強いだろう。

ケアンズ入りの1週間前、マッサによる「セクシー練」を開いてもらった際、彼からもらったアドバイスは「最大心拍数の70%程度に抑えるようにすること」だった。俺のTIMEXには心拍計がないため、その日はマッサのSUUNTOを借りて、自分の感覚と実際の心拍数をすり合わせることを意識した。

今、ポートダグラスに向かっている。おそらく心拍数は140前後、70%程度のはずだ。それなのに、平均32km/h以上は出ている。追い風だ。今はこれに助けられているが、折り返してからは大変だろう。調子に乗りすぎないよう、意識的に抑えて進む。

かなり大きくうねったコースだ。ときたま大きな登りがある。宮古島のアップダウンエリアに近い。俺にとっては、決してフラットではない。踏みすぎないように慎重に。心拍数を意識して進んでいると、ポートダグラスに着いた。ポートダグラスの街中を走り、住民たちの応援をもらいながら折り返し、パームコーブへ戻る。

そのとき、真っ黒いバイクに乗った青白シマシマウェアの男が、すごいスピードで向かってきた。最速不動産王、遠藤

「遠藤さん!!」

「うわー!こまださーん!!」

一瞬すれ違っただけだったが、気がついてくれた。それにしても、もう2回目のポートダグラスか。一体何キロ出てるんだ。

IM Cairns_Endo bike

遠藤さんから元気をもらい、パームコーブに向けて南下する。やはり風が強い。DHポジションで風をいなしながら進みたいところだが、それでもスピードが出ない。視線が真下に向いてしまう。

突然、路肩の出っ張りが目の前に現れた。ハンドルを無理やり切って避ける。車のライトを反射させるものだろう。こんなものに乗り上げたらパンクしてしまう。俺の場合、パンクやメカトラブルは致命的だ。路面の状況には細心の注意を払わなければ。

強風と地味なアップダウンで少しずつ体力を削られるが、路面を注視するため下を向かずに前を向く。よく見ると、アスファルトの状態はあまり良くない。ガタガタしているところがかなりある。パンクして路肩に座り込んでいる選手も目立つ。

パームコーブ手前で折り返し、再びポートダグラスへ。ここまで、約70km走ったことになる。また同じコースを辿るのかと思うと、気持ちが萎えそうになる。 洞爺湖ほどではないとは言え、アップダウンを伴う単調なコースは気持ち的にしんどい。

しかし楽しみがひとつある。ここから数キロ先に、スペシャルニーズバッグが待っている。そこにレッドブルを置いておいた。しかし、スタッフからバッグを受け取ると、明らかに軽い。レッドブルがない。

「俺の飲み物がないよ!」とスタッフに伝えると、持ち主不明らしき、たくさんの飲み物・食べ物の中から2つ持ってきてくれた。

「どっちがお前のだ?コーラか?レッドブルか?」

コーラも捨てがたいが、ここは正直にレッドブル……あれ?色が違う。俺のレッドブルは赤と青の定番のやつ。スタッフが差し出してくるのは黄色とシルバーのやつ。トロピカル味と書いてある。

「レッドブル … だけど すこし ちがう … でも これ もらう」

動揺が現れたのか、片言の英語でモゴモゴ言いながら一口飲む。なんだか甘い。俺の期待していた味と違う。もっとガツンとしてほしいのに、トロピカルな甘さが口と喉に広がっていく。

突如、胃の底から込み上げるものが。いかん、まだ早い。グッと抑え込み、トロピカルな飲み物で押し戻す。またググッと上がってくる。みぞおち近辺まで進出してくる。パイナップルな憎いやつで陣地を死守する。そんなトロピカル攻防戦を二、三度繰り返すと、すっかり消耗してしまった。

「お前、大丈夫か?」とスタッフから心配されながら再スタート。「大丈夫」と言ったものの、みるみる弱っていく。またか、また胃の問題か。4月の宮古島でも補給ができなくなって苦しんだ。でも、あのとき補給ができなくなったのは、ランに入ってからだった。バイクの半分にも満たない場面で補給ができなくなったとしたら…考えるだけでも恐ろしい。

気持ち悪さを我慢しながらボトルに入れたジェルをチビチビ飲み、えずきながらハイドレーションシステムから水を含み、うがいして吐き出す。こんな補給でもしないよりはマシだろう。CEEPO VIPER がビッチャビチャに濡れていく。レースを無事に終えられたら、ちゃんと洗車しよう。

二度目のポートダグラスを折り返し、さっきより激しく感じるアップダウンをパームコーブに向かう。一際大きな丘を登っていると、明らかなドラフティングをしている3人ほどの外国人パックを見つけた。ホイールとホイールがくっつきそうだ。間違いなく意図的なものだ。少しずつ横にズレて3台。抜かそうとしてもスペースがあまりない。

“On your right!!” と叫んで抜くが、すぐに後ろにつかれる。しばらくすると、3人まとめて俺を抜く。少しするとまた追いつき、彼らを抜く。その繰り返しになりつつある。

絶対に完走したいのだろう。俺も同じだ。俺レベルの遅い奴は、トップクラスとは違った意味で一分一秒を争う。少しでも前に、少しでも楽に行きたいだろう。俺だってそうだ。

でも、遅くても俺はトライアスリートだ。そこを崩してどうするんだ。彼らによっぽど注意喚起しようかと思った。しかし、彼らと目指すものが違うなら意味はない。俺は、自分自身で誇れるアイアンマンになりたい。彼らは彼らで好きにやればいい。

グッと力を込めて、ダンシングで丘を登る。ついてこられないくらいに引き放せばいい。心拍数は、多分180を超えただろう。マッサの与えてくれた作戦を破ってしまうが、もう仕方ない。そして、どうやら彼らは諦めたようだ。また一人旅で進む。

「アイアンマンになる」

160kmほど来たところで、強烈にその想いが噴き出した。160km地点、去年の洞爺湖で諦めの気持ちと共に落車したところだ。今は違う。補給はままならなくても、気持ちは切らしていない。誘惑にも勝った。「遅くても弱くなければいいんです」と、以前岩本さんに言われた言葉を思い出す。今はそれでいい。

日が沈む前、俺はケアンズ空港を過ぎ、エスプラネードに帰ってきた。17時過ぎ。深夜0時まで7時間弱。

大丈夫、イケる。
勝ったも同然。

そう自分に言い聞かせながらバイクを降りたとき、俺の両手両足は痺れていた。

Bike 180km: 7:20:29

第13話「今度こそ消えない」に続く

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