俺は何がしたいんだ、の先。

      2018/09/10

鎌倉のマンション

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ここ最近、この2つの記事に関して話を聞かれることが増えてきた。

 

人生を変えた質問。おまえは何がしたいんだ。

人生を変えた自問自答。俺は何がしたいんだ。

 

今から6年前、人生のどんづまりにはまり込みつつあった俺の個人的体験談だ。

「おまえは何がしたいんだよ!俺は晩酌がしてぇんだよ」という、一見意味不明かつ怒涛の言葉責めを受け続け、途方に暮れてしまったことが事の発端であった。

鎌倉のマンション

 

それまでの俺は、「正しい行いはこうあるべき」だとか「常識的にはこうしなければならない」だとか、そういう考えに身を委ねていた。より個人的なことを言えば、「正しさ」と「常識」を何より重んじる元妻と元義両親に合わせようとしていた。

「正しさ」と「常識」に任せていれば、ある意味で楽ではあった。誰にも責められず、何の責任を取る必要もなかったからだ。それどころか、「正しさ」と「常識」に反する行いをしている (ように見える) 人たちを、安全地帯から責め立てることすらできた。

しかし、いつも息苦しかったのも事実だった。いつの間にか、自分の考え、自分の想い、自分の楽しさ、そういったものを追求することにそこはかとない罪悪感がつきまとった。俺が楽しいと感じていた空手を「野蛮だ」と決めつけられ、空手の稽古に行かなくなってしまったこともあった。

 

そんなところに、怒涛のように「何がしたいんだ」と詰め寄られたとき、俺は完全に答えに詰まってしまった。

一人になってからそのことを深く考え込んでいると、自分がこれまでいかに心の訓練を怠ってきたのかが分かった。自分が何をしたいかすら分からない。

結局、そのときの俺は「そんな状態で生きるのは嫌だ」と結論付けて離婚を選び、子供とも別れることになった。それは、世間一般の「正しさ」や「常識」から離れる行いだったかも知れない。少なくとも、それまでの俺が「こうあるべき」と考えていたものからは遠ざかった。

 

それから俺の人生は少しずつ動いていったわけだが、それからも苦しみは相当長い間続いた。はじめての宮古島トライアスロン完走から数ヶ月後、その苦しみは最高潮に達し、全てを投げ出してしまいそうになった。

2014年宮古島トライアスロン完走

 

心を決めたら見えたもの。

 

おそらく、俺はあのとき「小さな死」を体験したのだと思う。そこまで追い込まれなければ気がつけないほど、心の訓練を怠っていたのだと今は理解している。

 

「おまえは何がしたいんだよ!俺は晩酌がしてぇんだよ」と詰められてから6年。今ではなんとなく分かる。

「何がしたいんだ」と自問自答しても、すぐに満足な答えは出てこない。アッサリ答えが出るくらいなら、それほど苦しみはしない。

あのときの俺は、「自分は何がしたいのか」に加えて、「自分はどうありたいのか」を自らに問いかければ良かったのだ。小手先の「やり方」よりも、根本的な「あり方」。それこそが大切なのだ。

 

今、俺は自分が望む「あり方」に確実に近づいている。そして、そういった「あり方」は常に心のどこか、目に見えるところに置いておく。そういったものは、見失いやすいからだ。

目に見えるところに、願うものを置いておく。それは、願いを現実のものにする助けになるはずだ。それでも迷ったなら、俺はこう自問自答しよう。

 

「おまえは、俺は、どうありたいんだよ!」と。

 

次回「『勝ったも同然』に込めた意味。幸せの前借り」に続く

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