空手家であるということ。小暮先生の教え。

      2017/03/21

拳生会_2

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高校生になった俺は、黒帯を締めるようになっていた。入門から3年かけて初段になったのだ。

黒帯を初めて締めた瞬間の喜びと誇らしさは、俺の人生の中でも上位に数えられる素晴らしい瞬間であった。

空手着

 

3年前、小暮先生から入門誓約書を受け取った頃、黒帯を締めた他の練習生たちが超人に見えたものだ。

しかし、今黒帯を締めている自分がその「超人」であるとは全く思えない。むしろ、未だに取るに足らない弱い人間だと感じる。

別に、謙虚さからそう思っているわけではない。小暮先生や藤原先生、あるいは内田先生のような達人中の達人と比べれば、自分が彼らからどれほどかけ離れているか、否が応でも分かってしまうというだけだ。

そして、どうやら空手をやるということは、身体の強さを獲得するだけのものではないらしい。それをうっすらとでも感じたのは、初段になった日の夜だった。

昇段試験の後、宴会の席でのことだ。小暮先生に呼ばれ、隣に座った。そして、こう言われた。今も俺の心に残る言葉だ。

 

「初段になったということは、ようやく空手家としてスタートラインに立ったということです。

これから稽古を重ねて、本当の空手家になっていくのです。

それは、『生活に活きる空手』を追求する道です。

あなたの人生に活きなければ、現代において空手をやる意味がない。

だから、稽古を続けなさい。勉強や仕事で忙しくなったときは休んでもいい。

心の中で辞めなければいいのです。

空手が生活に活きるように、生活の中にも空手に活きるものがあります。

それを学ぶのもまた、空手ですよ」

 

高校生の俺には、それの本当の意味するところは分かっていなかったように思う。

生活に活きる空手とは?まずは身体を強くしたい、人並みの強さを身につけたい、そう思っていた俺には少し難しいことだった。それでも、俺は先生の言葉をよく覚えておくことにした。

道場には「道場訓」が掲げられ、稽古のたびに読み上げていた。小暮先生が三十代前半で書いたというこの道場訓には、きっと「生活に活きる空手」の真髄が込められているはずだ。

 

拳生会_2

 

一. 常に禮に始り禮に終ることを忘るな

二. 敵を作るな平和な心を養え

三. 自己を高く評價するな弱きに失するな

四. 常に沈着であれ冷静を保て

五. 腕力に訴えるより仁慈を施せ

六. 何人をも容れ得る器量を養え

七. 相手の権利を尊べ自己の義務を果せ

八. 修練は真剣に

 

「休んでもいい。辞めなければいい」という小暮先生の言葉の意味を少し理解したのは、おそらくあれから20年後。鎌倉のマンションでひとり、パンイチ空手で汗だくになっていたときのことかも知れない。

ただ、これからしばらくの間、俺はこの道場訓を生活に活かせずに苦労することになる。それはつまり、空手家ではなかったということだ。

 

次回「教えを忘れた空手家」に続く

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