「廃墟」から「涙のゲラ、前へ」まで書き終えて。

      2017/10/30

1st sunrise 2016

前回「涙のゲラ、前へ」に戻る

 

先日、まだOnに出会う前の一連の話を書いた。今から約5年前の話だ。

Onに出会ってから、1年1年がとても濃密なものになっている。あっという間に1年が過ぎてしまう反面、その1年を振り返ると遥か昔のようにも思える。

そういう中で5年前というのは、もう隔世の感すらある。しかし、あの頃の気持ちはいまだによく覚えている。

深い罪悪感を伴う情けなさ、目の前が真っ白になるほどの焦り、澱んで濁ったような怒り、どれも鮮明だ。まるで、特定の香りを嗅ぐと数十年の年月すら一瞬で飛び越えてしまうように、特定のキーワードを見たり聞いたりすると、あの頃の気持ちが一瞬で呼び覚まされるのだ。

実家_1

 

ただ、そのときの気持ちは思い出せるが、もう囚われてはいない。「道が少し拓けたとき」でも書いたが、自分自身の経験上、幸せから遠ざかり苦しむ理由のひとつに「執着」があると思うからだ。

執着の対象は色々ある。自分のことで振り返ってみれば、終わったはずの恋愛、世間体のみで続ける家庭生活、過去の栄光らしきもの、無駄な自意識、会社での立場、ローンを組んだマンション、見栄で買った車、その他諸々だ。そこに、「あのとき苦しかった記憶と感情」も含まれる。

鎌倉のマンション

 

良きにつけ悪しきにつけ、物質的なことにせよ精神的なことにせよ、何かに囚われてしまうと一歩も先に進めない。俺はそうだった。逆に、「いざとなったらもう何にもいらない」とスパッと割り切ったとき、心の底から軽やかになったことをよく覚えている。

オン・ジャパン設立の直前、最後の最後まで残していた鎌倉のマンションを手放したのはそういう心境の変化があったからだ。「ハマのダンディズム」などとたわむれに名乗り出しのは、そのすぐ後だ。

そして、不思議なことに、執着を手放して自分のやりたいことを心の芯に据え、目的を持って前に進み始めた途端、不思議な出会いや面白い出来事が次から次へとやってきた。自分の心持ちが変わった途端、運命の方から迎えに来てくれたような感覚だ。

1st sunrise 2016

 

このことは、自分の中で大きな勉強となった。授業料は思いのほか高くついたのだが、そこまでしなければ気がつかない鈍い人間だったのだから仕方がない。

執着という不純物を捨て、純粋に自分がやりたいことを見つめて覚悟を決めると、苦しくも楽しい出来事が自分を待ってくれている。それが分かったのだから、これから先、あのときほど迷うことはないはずだ。多分。

 

次回「カズドン、パールイズ男、マーマンキング、適当なあだ名付けのインパクト」に続く

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